ホソの会 会報

あなたとホソ、いますぐアジェ

ホソと腸炎問題

本日のアジェです #hyperlapse

ホソを食べた。実は3日くらい前から肉が食べたいという気持ちがあって、肉しかもう見えない、肉、つまりホソを食べる強い気持ちがあった。偶然友だちが飲みに行こうって言ってくれてて、いろいろ考えた結果、アジェへとたどり着いた。いや、もはや必然だったのかもしれない。

ここで問題がある。前回ホソを食べたあとに私は腸炎になったのだ。そうだった。しかしあのときは「生の肉がいけなかった」と自分に言い聞かせていた。

「私、腸が弱いからさ、生の肉はやめたいの」

と、焼くタイプの肉を注文。当然儀式のようにホソ(塩)を頼んだし、ムービーは撮るし、梨ジュースは飲んだ。ホソうまい!!!!!!!てゆうか肉うますぎでは?????いや普段から肉食べるけど、焼肉ってなんでこんなにおいしいの・・・!!!!やばい!!!!!!!!!!ワーーーーイ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

とにかく満足した気持ちで帰宅して眠った夜。

気づいたら朝。

お腹が痛いな?????????????

ん????

おや?????

またお腹を壊した。

何故???????WHY???????ここ日本でしょ????中国じゃないでしょ????中国ではお腹壊しがちだけど前回はもう慣れたのか壊さなかったよ?????

私は今日もビオフェルミンを飲んで過ごすのであった。

早く健康になりたい。

テンションがあがった出来事

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こんばんは。出落ちなんですけど、中国に出張行ったら梨ジュース発見して「やばい!!!梨ジュース!!!まじで!!!!めっちゃ好きなんだけど!!!!」とひとりで大喜びしてたら上司になんでそんなにテンションあがってんの、といった目で見られましたがホソの会としてはテンションあがるじゃん???だよね??ってゆうかこんなクソみたいな内容このブログにかいて大丈夫なの??でもアジェに行くみんなならなんとなくテンションあがらない?だってアジェ行ったら梨ジュース頼むでしょ???ホソのこと思い出すでしょ??え??私だけ???ナンデ??まあこれ発見したの韓国料理屋さんだけど???中国で韓国料理ってややこしいって???ええやんおいしいやん梨ジュースはうまいじゃん???テンションあがってたから上司が2本くらい持って帰っていいよっておっしゃったので2本お土産にしたやん???素敵やん???ええやん? 現場からは以上です。id:nyanco15でした。

※ちなみにこの店でホソ食べてません。

ホソ、あるいは哺乳類の臓物

ホソが美味しいのは間違いない。

ふるふるでふわふわのとろけるような食感、やさしい脂とタンパク質の旨み。火をまとった姿。はじめて見たときは鳥肌がたって、はじめて食べたときは体が溶けそうになった。

もちろん、そのふるふるの食感が苦手な人もいるかもしれないけれど、大多数の人は美味しいと感じるのではないだろうか。ベジタリアンやインド人にとっては背徳的でより甘美に感じられるかもしれないが推奨はしない。

ただ、はじめてホソを食べたときの歓喜の一部には、その味だけではなくその名前の影響もあるのかもしれないと思った。



「ホソ」


ホソを食べたことがないという不幸な、いやもしかするとこれからホソとの歓喜のファーストインパクトを控えた幸福な人間は、ホソという字面を見たりや音を聞いてどう感じるだろうか。

おそらく、非日常的ななにか、想像のつかなさを感じるのではないだろうか。ホソ・・・「ほぞを噛む」のほぞだろうか。つまり牛のおヘソかな?命がかたちになって最初に母体から栄養を受け取る場所。どんな味なんだろう。いや、もしかするとホヤみたいな見た目だからホソという名前なのかもしれない。ホヤも食べたことないどうしよう?けれど、なにやらおいしいらしい。想像のつかない見た目と味が気になりながらも期待が膨らんでいく・・・。ということになるかもしれない。


これを、たとえば、ホソではなく、小腸だよ、とか白くてブヨブヨした哺乳類の臓物だよと伝えられるとグロテスクな印象を受けたり、癖のあるホルモンの一種だろうか、と悪い先入観を生んで、食べたときにもその悪い先入観に引きずられたりしないだろうか。


先入観は、脳が効率的な情報処理をするための優れた機能ではあるけれど、よく知られているように視野狭窄固定観念を生みかねない。


先入観はその実際の効用に影響する。期待値が低い中で実際にすぐれているものがあると喜びにもつながったり、逆に期待値が高すぎると、そこそこよくても落胆してしまうのは人間の性ではある。民主党政権は期待されていた分だけより憎まれているし、映画「プロメテウス」は予告はなかなかおもしろそうであったにもかかわらずのあの内容でいまだに悲しみの傷が残っている。アニメ「スタードライバー」は南国ラブコメロボットものだよ、と聞いてまったく期待していなかったけれど、友人が1.5倍再生で観ているのを横で眺めているとかなりおもしろくて、後で見返したりもしつつ自分の不明を恥じ、はじめからおもしろいよ!と聞かされているよりも新鮮に楽しめたように思える。


このように先入観とのギャップは効用に影響する。ただ、そのなかでも特に、感覚と心身の状態に左右されがちな敏感で繊細な味覚は、先入観によって実際の効用が大きく左右されてしまうように思うのだ。あまり美味しくなさそうと思って食べると、思ったよりも美味しくてもなかなか先入観をぬぐえないし、期待は味をより美味しくする。つまり、名前はただの記号ではなく、味を構成する重要な一部。言い換えると、味というのはひとつのコンテンツではなく、コンテクストとしてとらえる必要がある。



当然ながらコンテクストを形成するものには名前以外にも重要な要素はたくさんある。


雰囲気のいい街にあるほっとするような店構え、わくわくするような店内の装飾、どきどきするような相手、シェフの笑顔、ストーリーのある店名や食材、レシピ、目覚めの時に見つめる掌、幼かった頃の記憶、未来への予感・・・それだけじゃない。私がアクセスできる膨大な外部情報や食卓の広がり、それら全てが<味>の一部であり、<味>という存在そのものを生み出し・・・そして、同時に<味>をある限界に制約しつづける・・・*1




人生の短さに比して料理の道は深い。我々は己と向き合うためにまだまだアジェに行くことになりそうだ。


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ホソの会ではともにホソの歓びを求める人間や意欲あるコンテクストの探究者を求めています。

ジョイナス

*1:元ネタは押井守攻殻機動隊での少佐のセリフ

焼肉とコミュニケーション

焼肉は人とコミュニケーションするには向かないという説がある。 同席している相手よりも網のうえに置かれた肉の状態に気を遣ってしまうからだという。

これはある意味では正しいかもしれない。しかし、これは本当に幸福な焼肉体験をしていないのではいか、とも思える。

たしかに、つやつやふわふわのお肉を焼いているとき相手の顔をみて話すことは難しい。煙突も邪魔になる。

けれど、たとえばアジェには違う側面がある。

きれいなお肉に注目しながらも、自分たちで焼いた美味しいお肉を分けあって食べたり、初めてホソを見て不安になっている人に最高の状態のホソを食べてもらう喜びは出されたものを食べるだけの高級レストランでは味わえない感情だ。

これは恋愛でも同じであって、人間についての深い洞察をもつ山口貴由先生の言葉を引用してみる。

見つめあっている2人より、同じ方角を見つめている2人のほうがはるかに強く結ばれている。 (覚悟のススメ、巻末コメントより) *1

焼肉は長いバリューチェーンの最後に消費者として口をあけて待っているだけでは完成しない。われわれ消費者も参加することで完成するというこの焼肉という料理には力がある。美味しく牛を育てる畜産家、安全に気を遣いながらも熟練の技で解体する屠畜業者、鮮度を保って輸送する業者、早朝から仕込みをして肉にあわせて適切にカットして出してくれるマスター、そして、それを焼き網に捧げる我々がいて完成するのだ。 もちろん、これは狙ってやっているわけではない。価格や場所、肉を焼いてすぐ食べないと味が落ちるという制約のひとつの副産物でしかないのだろうけれど、これもまた魅力である。

こういった料理は、日本の鍋料理や、アメリカのBBQなどのようにコミュニケーションを創発する機能があるのではないかと思える*2。みんなで参加して、みんなでつくりあげて、みんなで食べることで一体感を得る。

こんなことを考えていると、内澤旬子の「世界屠畜紀行」を思い出した。モンゴルやイスラム世界では、祭りや節目に家で家畜をしめて解体して、みなで食べる文化があるという。これは家族総出の作業でたいへんなのだけれど、ご馳走の文化として描かれていたが、コミュニティの結束を強める効果もあるのかもしれない。非日常の、ややもすると残酷な作業を家族でこなし、おいしく味わう。形式だけではない本当の儀式。 これほどではなくとも、お店での焼肉はコミュニティを強めるためにうってつけなのではと思ったのだけれど、どうだろう。

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・・・

先日にアジェ北店に行ったばかりだというのに、たまたま別の友人から誘われてアジェ木屋町団栗店にいってしまった。この暑くなりかけるシーズンは誰もがアジェを望むのかもしれない。

アジェで満たされたあとに高瀬川沿いを歩いて帰るのも風が心地よくていい気分になる。

*1:http://d.hatena.ne.jp/hurricanemixer/20070320/1174401034

*2:もっとも、すき焼きやBBQは家庭内であれば家長が取り仕切ることが通例であり、文字通りのパターナリズムな権威を強化する要素も指摘はされているけれど

新緑のホソの会@北店

アジェは電話予約できないため17時過ぎにいって店の前の名簿に名前を記入しないといけない。そう思っていた時期が、わたしにもありました。

じつは紫明通にある北店は電話でも予約ができますし店内も広々。並木が気持ちいいところです。

ホソを食べにアジェにいくパターンは2つあります。 1つはアジェを愛するお方が上京する際にアジェに寄るということで、前々から計画しているもの。徐々にアジェとホソに備えるために体のコンディショニングをし、気持ちを徐々に高めるということでアジェを最高の状態で迎えるもの。いわば儀式のような厳粛さをもったもの。もうひとつはそこそこ急に、前日くらいにアジェに行こうとなり、振り回されながらも楽しいジェットコースターのようなアジェ。

今回は後者。急な誘いで知っている人も少ない中、ドキドキしながらいってきた次第。

ひさしぶりに哺乳類の臓物たべてきた #aje #hoso #ホソの会

肉を食べること、命をもらうこと。気が充実するのを感じる。 今回はお酒は飲まずになしジュースをごくごく飲む。ホソの会wikiにも、ギークどもがホソを食す際の飲み物と書いてある。

宝石と見間違えたよ #aje #ホソの会

赤ホルモン盛り合わせ。うつくしい。寺門ジモンはホルモンを焼き分けられるようになるには10年必要と言っていたがそれだけの難しさがある。

はい #ホソの会 #aje

我は肉。グリルは祭壇。 #ホソの会 #aje

みんなが膝を突き合わせてグリルの火を囲む。話も弾み舌も踊る。 そのなかでも、人間も肉の塊であることを感じずにはいられないほど官能的な肉。

店員さんのTシャツ、超クール。 #aje #ホソの会

余談だけれど、店員さんのTシャツめっちゃかっこいい。

今回もいいホソの会だった。

新生 ホソの会

ホソ。魅惑の食べ物

ホソは牛の内的存在の象徴であり小腸でもあります。 関東ではコプチャンと呼ばれ、焼き方によってはまるちょうとも呼ばれています。 これはふるふるの白いとろけるような脂がのった高たんぱくな部位でかつ安価にいただける素晴らしい食材です。

特徴としては焼き網のうえで燃えやすいこと。この火に焼けている肉を見ていると、人間も肉なのだということが実感としてわかります。 また、この際に出る煙は浅草寺で焚かれているお香よりもご利益があるそうです。

知られざるホソの会

ホソを食す文化自体はウシが家畜化された新石器時代、つまり7000年ほど前から続くものと思われます。また2007年にはホソの会として京都で活動が確認されています。

http://wiki.fdiary.net/HosoJunkies/

このwikiの中心人物がカナダやドイツのスタートアップでグローバルに働き出すことでwikiの更新は滞りがちになりましたが、そのあとも不定期に、しかし頻繁にホソを食す会は開催されています。しかしこれらは、個別性のあるクローズドイベントであり体系化・集約はされていませんでした。 今回、このブログを立ち上げて、これを記録として残すことには2つの意味があります。

  1. ひとつはホソの幸福体験を言語化することで、私たちの内面とホソを見つめなおすこと
  2. ひとつはホソの魅力を広げることで世界平和に貢献すること

まだまだ奥が深く、口に含むたびに歓喜と発見のあるホソ、我々にも全貌はわかっていませんが、このブログをつづっていくことでなにかが見出したいと考えています。

これからのホソとあなた

あなたのホソ報告、お待ちしています。わたしたちとホソの会、やりませんか。

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